被告イリーナ・サフキナの最終陳述(ビロビジャン)

信者は、聖書の中に幸福と人生の意味を見出した経緯を語り、裁判所にこう問いかけました。「私の信仰のどこが悪いのでしょうか?親切で、思いやりがあり、正直で、平和を愛する人間になることの何が悪いのですか?」

書き起こし:

裁判長、オリガ・ウラジーミロヴナ様。信念のために法廷に立たされる人は多くありませんが、私は今その場に立っています。ですから、最終陳述を述べる機会は私にとって非常に重要です。この機会を与えてくださったことに感謝します。また、審理中に注意深く耳を傾け、事案の本質を理解しようとしてくださり、法廷で平静かつ敬意ある雰囲気を保ってくださったことに感謝します。友人たちや、私の状況に関心を寄せてくださるすべての方々の支援にも心から感謝しています。

私の刑事事件の審理は終わりましたが、未だに自分のどこが悪いのか、何が危険だったのか理解できません。私は常にこの国の法律を守ってきたので、なぜ裁判にかけられているのか本当にわかりません。エホバの証人だからでしょうか?私たちの憲法は、信仰の自由を保障しています。私がなぜこの宗教を選んだのか、その理由をお話しします。

最初に魅力を感じたのは、エホバの証人のすべての人が親切で思いやりがあったことでした。言葉遣いも清らかで、粗野な人はいませんでした。雰囲気も心地よいものでした。エホバの証人の礼拝では、常に聖書が朗読されていました。

後に聖書から、神の名や、神が霊的存在で描写できないこと、なぜ世の中に悪や苦しみが多いのか、地球の将来がどうなるのかを知ることができました。これが私に心の平安と明るい未来への確信をもたらしました。

以前から幸福な人になりたいと願っていましたが、まさにエホバの証人の宗教の中で本当の幸せを見つけ、真の愛を知り、自分の疑問にも答えを得ました。

私は聖書を熱心に研究し始めました。その結果、聖書が神の導きによって書かれたこと、それを通して神がご自身や人類の将来について語っておられる事実を知りました。聖書には良い例悪い例が記されており、それを読む中で多くを学びました。また、エホバは聖書を通して人間が本当に幸せに生きられるよう助言を与えてくださっています。

聖書の教えは私に良い影響を与え、私は少しずつ「神のみ心にかなう新しい人格を身につける」ように変化していきました。その結果、喫煙、汚い言葉、怒鳴り声、窃盗、不道徳など多くの悪い習慣をやめることができました。

私はポレボエ村で唯一のエホバの証人でした。多くの人がそれを知っていました。ある女性は私がエホバの証人であることを嫌悪し、あからさまに無視したり、粗野な態度を取ったりしていました。しかし、ある時、何気ない会話をきっかけに話すようになり、聖書から学んだことを彼女に伝えました。その後、彼女は村を離れましたが、半年ほどして手紙をもらいました。「イリーナさん、あなたが来る前日に全ての親族に別れを告げ、自殺しようと思っていました。でも今は自殺など考えもしません。本当に生きていて嬉しいです。ありがとう」と書いてありました。私はこれはすべてエホバのおかげで、自分の力ではないことを伝えました。エホバの言葉は本当の慰めと希望を与えてくれるのです。

エホバは聖書を通し、結婚を神聖な契約とみなすよう私に教えてくださいました。ですから、夫が殺人の罪で8年間服役していた時も、私は忠実に妻として彼を支えられる範囲で支え続けました。

この宗教は本当の友人を得る助けにもなりました。私の宗教選択は間違っていなかったと確信しています。イエス・キリストの言葉「互いに愛し合うなら、みながあなたがたを私の弟子だと認める」(ヨハネ13:35)が本当だと実感しました。

2022年4月17日、私は転倒して足を骨折しました。10カ月間(2023年2月まで)ギプスを装着し、2回手術を受け、医師からは絶対に足を着けてはいけないと言われました。何カ月もベッドから起き上がれず、トイレに行くこともできませんでした。病院に行くのも大変でした。タクシー運転手は、私の苦労を見ていつも家の玄関まで来てくれて、楽に座れるよう手伝ってくれました。ところが検察官は、その間も私がさまざまな場所で過激な活動をし、憲法秩序や国家安全を脅かしていたと主張します。ベッドから自力で起きられない人が、誰にどんな危害を与えられるのでしょうか?

最初の手術後、家に帰るときも友人が車で送ってくれ、ベッドから起きられない私を助けてくれました。食事の用意や掃除、水のくみ上げまで手伝い、励まし、元気づけてくれました。歌ったり、様々なゲームをして、ベッドに縛られていたものの、幸せな時間を過ごしました。また、畑を耕せなくて気にしていましたが、友人が耕し、植えて、草取りや土寄せもしてくれました。収穫も彼らがしてくれ、私はそれを利用するだけでよかったのです。

アムルゼトには外科医がいなかったので、よくビロビジャンまで診察に行きました。とても大変で、何度か入院もしました。それでも落ち込む暇はありませんでした。傍には友人がいてくれて、病室 …

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